日本バスケットボール界において「歴史を変えた男」と言えば、まず真っ先に渡邊雄太(わたなべ ゆうた)選手の名が挙がるでしょう。
日本人として2人目のNBAプレーヤーとなり、世界最高峰の舞台で6シーズンもの間、最前線で戦い続けたその姿は、多くのファンに勇気を与えてきました。
2024年、渡邊選手は大きな決断を下し、日本国内リーグ「B.LEAGUE」の千葉ジェッツへの移籍を発表しました。
今、改めて注目が集まる渡邊雄太選手の歩んできた軌跡、知られざる学生時代、そして支えとなる妻・久慈暁子さんとのプライベートまで、その魅力を徹底的に解剖します。
渡邊雄太の基本プロフィール

まずは、渡邊雄太選手の基本情報を整理しておきましょう。
彼の最大の武器は、206cmという長身ながら、ガードのような俊敏な動きと、粘り強いディフェンスです。
| 項目 | 内容 |
| 生年月日 | 1994年10月13日 |
| 出身地 | 香川県三木町 |
| 身長 / 体重 | 206cm / 98kg |
| ポジション | スモールフォワード(SF) |
| 出身校 | 尽誠学園高校 → ジョージ・ワシントン大学 |
| 現在の所属 | 千葉ジェッツ(B.LEAGUE) |
| 愛称 | ナベ、Yuta |
渡邊選手は、バスケットボール一家に生まれました。
父・英幸さんは実業団の選手、母・久美(旧姓:久保田)さんは元日本代表の主将という、まさに「サラブレッド」としてのルーツを持っています。
しかし、彼の成功は才能だけでなく、人一倍の「努力」によって築かれたものであることは、彼のキャリアを辿れば明らかです。
その、異常なまでのバスケットボール一家としてのエピソードは以下の自伝で綴られています。
バスケットボールのルーツ:出身校と学生時代

渡邊選手のキャリアを語る上で欠かせないのが、自ら望んで厳しい環境に身を置き続けた学生時代です。
尽誠学園高校時代:香川から全国へ
地元・香川県の尽誠学園高校に進学した渡邊選手は、1年時からスターターとして活躍。
全国高校選抜大会(ウインターカップ)では2年連続で準優勝に輝きました。
当時から「規格外の大型選手」として注目されていましたが、彼は日本国内での成功に満足することなく、卒業後、単身アメリカへ渡る決意をします。
セント・トーマス・モア・スクール:最初の壁
渡米直後、プレップスクール(大学進学への準備学校)であるセント・トーマス・モア・スクールに入学。
英語の壁や、身体能力の極めて高いアメリカ人選手たちとの差に直面しながらも、彼は持ち前の「負けず嫌い」で成長を遂げます。
ジョージ・ワシントン大学での快挙
その後、NCAAディビジョンIのジョージ・ワシントン大学(GWU)から奨学金を得て入学。
これは、日本人としては松井啓十郎選手以来の快挙でした。
大学4年間で、彼は守備のスペシャリストとしての地位を確立。
4年時には、カンファレンス(A-10)の「最優秀守備選手賞」を受賞するという、アジア人として極めて異例の評価を受けました。
この実績が、NBAへの扉をこじ開ける鍵となります。
不屈の精神で切り拓いたNBAキャリア

2018年、渡邊選手はドラフト指名こそされなかったものの、メンフィス・グリズリーズと「ツーウェイ契約(NBAと下部リーグを行き来する契約)」を結びます。
ここから、彼の壮絶な6年間のNBA生活が始まりました。
厳しいサバイバル:グリズリーズとラプターズ時代
NBAの契約は非常にシビアです。
結果が出なければ即座に解雇される環境の中、渡邊選手は「ディフェンス」と「献身的なプレー」を武器に生き残ります。
2020年にはトロント・ラプターズと契約。ここでも泥臭いプレーでコーチ陣の信頼を勝ち取り、ついに本契約を勝ち取りました。
覚醒の瞬間:ブルックリン・ネッツ時代
渡邊選手のキャリアで最も輝いた瞬間の一つが、2022-23シーズンのブルックリン・ネッツ時代です。
ケビン・デュラントやカイリー・アービングといった超一流スターとプレーする中、渡邊選手はコーナーからの3ポイントシュートを次々と沈め、一時は「3ポイント成功率リーグ1位」を記録。
全米のファンに「YUTA」の名を轟かせました。
記録と記憶に残る6年間
その後、フェニックス・サンズを経て、古巣グリズリーズへ復帰。2024年に日本帰国を発表するまで、彼は通算213試合に出場しました。
現在もNBAで活躍をしている八村塁選手に次ぐ、日本人2番目の記録です。
これは田臥勇太選手の4試合を遥かに超え、日本人としてNBAのコートに最も長く立ち続けた金字塔です。
渡邊選手のNBAでの挑戦の日々、苦悩の想いを赤裸々に綴った自伝を紹介します。
これを読むとまたさらに渡邊選手が好きになります。
最愛の妻・久慈暁子さんとの結婚と馴れ初め
渡邊選手の活躍を語る上で、プライベートでの支えも見逃せません。
2022年5月、元フジテレビアナウンサーの久慈暁子さんとの婚約を電撃発表し、世間を驚かせました。
2026年1月には第1子を授かったと久慈暁子さんのインスタで報告されました。
2026年には誕生する予定でとても楽しみですね。
出会いのきっかけは「取材」
二人の出会いは、2019年のワールドカップ前の取材だったと言われています。
当初は選手とアナウンサーという関係でしたが、2021年の東京五輪終了後に本格的な交際がスタート。
当時、渡邊選手はアメリカ、久慈さんは日本という遠距離恋愛でしたが、多忙な合間を縫って愛を育みました。
生放送での電撃発表
驚くべきは、その発表方法でした。
久慈さんがフジテレビを退社後、同局の番組『ポップUP!』に生出演した際、番組の最後にさらっと「プロバスケットボール選手の渡邊雄太さんと婚約しました」と報告したのです。
共演者も知らされていなかったこのサプライズは、大きな話題となりました。
アメリカでの生活とサポート
結婚後、久慈さんはアメリカへ渡り、渡邊選手の過酷なシーズンを食事やメンタル面で支えました。
渡邊選手はSNSで「彼女の存在が大きな力になっている」と度々語っており、夫婦でNBAの会場を歩く姿や、オフの日の仲睦まじい写真は、多くのファンから「理想のカップル」として支持されています。
日本代表(AKATSUKI JAPAN)への想い

渡邊選手にとって、日本代表のユニフォームは特別な意味を持ちます。
特に印象深いのは、2023年のワールドカップです。
大会前、彼は「この大会で五輪出場権を逃したら、代表を引退する」という背水の陣の覚悟を公表しました。
キャプテンとして、そして大黒柱として、満身創痍でコートに立ち続けた結果、見事にパリオリンピックへの切符を掴み取りました。
「自分よりも、次の世代のために道を作りたい」という彼の言葉からは、日本バスケの未来を一身に背負う強い責任感が伝わってきます。
新たな舞台「千葉ジェッツ」と今後の展望

2024年、渡邊選手は30歳を目前にして、ついに日本でのプレーを選択しました。
移籍先に選んだのは、Bリーグ屈指の強豪「千葉ジェッツ」です。
なぜ今、日本復帰なのか?
まだNBAでプレーできる実力がありながら、なぜ復帰を選んだのか。
その理由は、「バスケットボールを純粋に楽しみたい」、そして「日本のファンの前で最高のパフォーマンスを見せたい」という熱い想いでした。
NBAでの6年間は、常に契約争いという極限のストレスとの戦いでもありました。
今後は、自国日本の熱狂的なファンの前で、チームを優勝に導くエースとしての活躍が期待されています。
日本復帰した際に選択した背番号は「1」。
「日本でプロバスケ人生を一(いち)からスタートする」という決意が込められています。
長年戦ったアメリカを離れ、日本のファンに自分のプレーを届けるという新たな旅立ちを象徴する番号として、自ら選びました。
日本復帰後の着用バッシュ
NBAでの6シーズン、渡邊選手は主にナイキ(Nike)のシューズを愛用していました。
日本復帰後はアシックスの「NOVA SURGE 3」を着用しています。
#千葉ジェッツ の #渡邊雄太… pic.twitter.com/gMOX0H99mZ
— 【公式】朝日新聞バスケットボールinfo (@asahi_bballinfo) October 11, 2025
NBA時代よりも、着地の安定感や激しいコンタクトに耐えうる「ソール(靴底)の幅広さ」や「クッション性」を重視するようになっていると言われています。
これは、怪我の予防やキャリアの長文化を意識した選択と考えられます。
他の日本人選手のバッシュに興味がある方は以下を参照ください。
まとめ
渡邊雄太選手の歩みは、まさに「継続」と「情熱」の物語です。
- 学生時代:高い志を持ってアメリカへ渡り、異国の地でゼロから評価を築いた。
- NBA時代:解雇の恐怖と戦いながら、日本人最長の213試合出場という偉業を成し遂げた。
- プライベート:久慈暁子さんという最良のパートナーを得て、公私ともに充実。
- 現在:千葉ジェッツの地から、再び日本バスケを盛り上げる。
「日本人にはNBAは無理だ」と言われた時代を終わらせたのは、渡邊選手のひたむきな努力でした。Bリーグという新たな舞台で、私たちが再び「渡邊雄太」という物語の新しい1ページを目の当たりにできるのは、この上ない幸せと言えるでしょう。
これからの彼の活躍、そして日本バスケ界がどう進化していくのか、一瞬たりとも目が離せません!



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